「どういうことだよ」

 伶はそっと部屋の外に出る。ナダは眠っていて起きる気配がないのが幸いだった。

 部屋は薄暗いから、彼が大人の姿になっていることにも留美子は気づいていないだろう。

「おい」

 まさか留美子が刃物なんて持ち出すとは思わなかった。だが、冗談だと言い出す気配もない。

 彼女が手に持っている刃物は、偽物には見えなかった。もともとこの従兄弟には、何をしでかすかわからない怖さがある。

「あの子……人間じゃないんでしょう」

 一瞬、伶は言葉を失う。

 そうした伶の一瞬の戸惑いまでも、留美子はたぶん敏感に気づいていた。

「そうなんでしょう」

 これ以上白を切っていても仕方がない。

「だとしたって殺すとかそんな」

「何を今更言ってるの」

 留美子はあきれ顔だった。

 自分はそんなにおかしなことを言っているだろうか。急に刃物を持ち出す留美子の方が、どう考えてもおかしいはずだ。

「壊すって散々息巻いてたじゃない」

「それは」

 ただ土地の話だ。土地と、塔の話。

「違う……」

 でも、薄々わかっている。このままではたぶん、あの塔は壊せない。どれほどの爆薬を仕掛けても、重機を持ってきても、おそらく無理だ。

 だが土地を売らないと、伶は東京には帰れない。借りているアパートはもう奴らに見つかっているし、他に金を用意できる手段もない。

「俺は別に、ただ土地を……」

 土地を売るためには塔を壊さないといけないし、そのためにはあの男が邪魔になる。

 ――あの、塔の中にいた男。

 今となっては、はっきりしている。子供の姿のナダと、彼は同一人物だ。人かどうかはわからないが。

 だからたぶん、留美子の言うことは正しい。あの男を……ナダを殺せば、塔は壊せて、土地は売れる。

「お前こそ、なんでそんなこと急に言いだしたんだよ」

 彼女には土地の話は関係がないはずだ。むしろ、ナダをかわいがっているようだった。

 ちゃんとハンバーグも作ってくれた。それが「殺そう」となるのはいくら何でも変だ。

「山の奥の方に、ダムができたでしょう。もうずっと前だけれど。じいちゃんの頃かな」

  彼女が何を言い出したのか、伶には意図がよくわからなかった。

「何のことだよ」 

「たぶん、この辺りにも何度も水害が襲った」

「だから何だよ」

 今となっては、川も近くにはない。山ばかりの、じめじめとした土地だ。

 これといった観光地もなく、作物も育たないぱっとしない田舎。高齢化率は何パーセントになったのだったか。温泉はかろうじてポジティブな要素だが、未来なんて到底ない土地だ。

「だからかつてはたぶん、ここにも竜神信仰があったのかもしれない」

「そんなこと言ったって……」

「水害の象徴が家にいるんだよ、どんな悪いことが起こるかわからない」

「いや、象徴って何だよ……子どもだろ」

 あまりに現実離れしていた。

 もともと神話だの民話だの研究している留美子には、違和感がないのかもしれない。だけど伶が今まで考えてきたのは、商売や金の話だ。いきなり神だ伝説だと言われても困る。

 だが、伶が今まで留美子に口で勝てたことがないのも確かだった。

「とりあえず、今すぐには無理だ」

 一旦は、留美子を落ち着かせて考え直さないといけない。

「ヤマタノオロチだって、酒を飲ませて油断させたんだろ」

「わかってる」

 今にも手に持った刃物を振りかざしかねないと思っていた留美子は、思っていたより冷静だった。

「子どもだから酒は飲ませられないな」

 ヤマタノオロチを討伐する時、スサノオノミコトは七つの頭それぞれに酒を用意したのだと聞いた。そうやって油断させて眠っているところを切りつけた。

「甘酒でいいでしょ」

「そんなんでいいのか」

 やたら伝説にこだわる割には適当だ。

「おじちゃんの所で作ってるやつはアルコールは入ってる」

 近所に住んでいる大叔父の作る甘酒は、伶も小さい頃から好きだった。だが、アルコールが入っているのだとは知らなかった。

「まじかよ」

「8パーセントはあるらしいよ」

「高えな」

 確かにふわっとして気持ちの良い飲み物だと思っていたが、まさか普通のビール以上の度数だとは思わなかった。そういえば伶の家系はみな酒には強い。だからあまり気にならなかったのかもしれなかった。

「やるならやっぱり夜だろうね、私も仕事あるし……」

 ルミコは淡々と、ナダを殺す方法について語った。

 明日の夕飯に、食事と一緒に甘酒を用意する。甘酒自体は、叔父の家で作っているものを貯蔵してある。伶や留美子も一緒に飲んで、油断させる。たぶん、伶が飲めば彼も飲むだろう。

 酔っ払って眠ったところで、首を切る。

「首……」

 何だか現実味がなかった。ごくりと伶は唾を飲み込む。

 首を切る? 本当に?

 もし、彼が本当にただの子供だったら、どうするつもりなのだろう。

 でもあの子どもは、寝ている間に、大人の姿になった。その時点でもう、普通ではない。

 わかっていた。

 ――記憶がうずく。

 あれは、いつのことだったか。同性を好ましいと思ったのなんて初めてだった。

 金ができてから女と遊ぶことはあったけれど、思えばいつも表面的な交わりだった。

 あれほど別れが辛かったことは今までない。

「大丈夫、人じゃないんだから」

 どうして留美子は、こんなに平然としていられるのだろう。

「いや、大丈夫ではないだろ……」

 ともすると事態の異常さに飲み込まれそうになるのを、伶は必死でこらえた。

 

 

 翌朝はよく晴れていた。

 目が覚めると、ナダはまた子供の姿になっていた。もしかして昼間と深夜で違うのだろうか。よくわからなかった。

「おはよう」

「おはよう」

 やっぱり伶の言葉をおうむ返しにしてくる。だけど挨拶だけなら、まるで自然な会話みたいだった。

 首を切る。この子供の首を。

「お前わかって言ってんのか?」

 きょとんとした顔のまま、彼は答えなかった。

 

 留美子はまだ朝早いうちに、村役場に出勤していった。

 伶はナダと自分の分のパンを焼いて、朝食を取った。

 よく晴れた日だった。縁側から広がる庭が見える。庭と言っても、申し訳程度の池とあとは、半ば畑のようなものだ。野菜など食べられるものばかりが植わっているらしい。だけど意外と、きれいな花が咲いていた。それが何の花なのか、伶にはわからなかった。

 スズメが飛んできていた。のどかな田舎の朝の風景だった。

 この田舎に来るのは、ずいぶんと久しぶりだ。祖父が生きていた頃には、何度も遊びに来ていた。

 子供心にも、好きな場所だったという記憶がある。でも、中学生くらいになってからは、まるで来なくなっていた。田舎になんて、何の魅力があるのかわからなかった。

 ちょうどその頃、両親が離婚して嫌な目にあっていたからということもある。

 両親は、父のリストラの末に離婚した。母は経済力のない父を捨て、あっさりと新しい男を見つけて再婚した。

 貧乏は不幸だ。

 はっきりと、それだけを伶は心に刻んだ。母についていった兄は、何だかんだといい生活をしているようだった。  

  実際、怜のもとにも金ができたら女は寄ってきた。

 今になっても伶は、どうして自分が父についていくことを選んだのか思い出せない。

 父があんまり、寂しそうだったからかもしれない。

 2人きりになると、家の中は静かだった。

 ナダはぼうっと立ち止まったまま、伶と同じ様に窓の外を見ていた。

 ……何をしているのだろう。こんなところで。

 事業が失敗した。確実に儲かるはずの話だった。景気が良いときにはいつの間にか寄ってきていた友人や女も気がつくといなくなっていた。

 こんな田舎にまで来て、先祖代々の土地に手を出そうとして、自分は何をやっているのか。

 生活が苦しくても父は、田舎の土地のことなど一度も言い出さなかった。地味な暮らしをして、働いて働いて死んだ。

 伶は何となく手持ち無沙汰で、庭に出る。

 ここに戻ってくれば、家には住まわせてもらえただろうし、最低限の暮らしはできたはずだ。でも、父はそうしなかった。

 伶の後をついて、いつの間にかナダも外に出てきていた。

「おい、サンダル履けって」

 ナダはきょとんとした顔で伶を見返してくる。庭に出る用のサンダルは大人用しかなかった。

 仕方なく、伶はナダの身体を持ち上げる。

「重……っ」

 おぶってやろうかと思ったのだが、よろけて転ぶところだった。それでも何とかバランスを取って、伶は庭を歩く。

「お前、重いな……」

 このままここで居候する暮らしというのも楽しいかもしれない。留美子が精を出して世話をしている畑には、ナスやトマトが植わっていた。ナスはまだ大きくなりきっていない。

 伶は何となくそれに手を伸ばす。

 とげとげした葉っぱが指に刺さるように感じる。

 それからぐるりと、庭を回った。池の水は緑色に濁っていて、夏は蚊が沸くんじゃないかと見ているだけでも心配になった。

「なぁお前、どうしたい?」

 背中に感じる彼の重さも温かさも、人間そのものとしか思えなかった。

 うすうす、同じ言葉を繰り返されるだろうと思っていた。どうしたい?と繰り返すのだろうと。

 だがナダは何も言わなかった。

「お前、どうしてあそこにいたんだ」

 おぶっているので、彼の表情は見えない。

「誰か」

「……え?」

「光が、見えたから」

「光?」

 確かに塔のあの小部屋には、明かりがあった。誰かがいたような形跡も。

 それが、遠くからでも見えたと言うことだろうか。でも遠くといっても、どこから。

 ――水害の象徴

 そんなわけがない。もしそうなのだとしたらそれがなぜ、こうして伶の背中の上にいるのか。

 この辺りは、じめじめとしているが川はない。水害など起こりようもない。

「お前どこから来たんだ」

 彼は答えなかった。

「俺はさぁ、俺は、どうしようもないやつかもしれないけど」

 事業を失敗したのは、共同経営者とうまくいかなくなったからだ。大学の同級生だった。

 伶は本当は金を借りたりしたくなかった。だが、彼はリスクを取ることも大事なのだと言いはった。本当は、彼も金を借りると聞いていた。だが蓋を開けたら、資金を出したのはすべて伶だった。

 自分の頭がさして良くないこともわかっている。

 でも、ついていけていると思っていた。

 ばかにされているだけなんて思わなかった。

「どうしたい?」

 ナダは小さな、だけどよく通る声で少し前の伶の言葉を繰り返した。

 

 

「ただいま。外、霧出てきてるよ」

「ああ、おかえり」

「煮物もらった」

 夕方、五時過ぎになって留美子は帰ってきた。手にタッパーのようなものを持っている。留美子はそれを差し出してきた。

 だが伶が彼女を玄関で出迎えたのは、煮物を受け取るためじゃない。

 反射的にタッパーを受け取りながらも、伶は必死に言った。

「なぁ、やっぱり、もう一度落ち着いて考えてみよう」

 今日一日、ずっと考えていたことだった。

 ナダは、人間ではないのかもしれない。だとしても今のところはっきりとした害はない。

 厳密にいうと伶にはあったが、それを言うつもりもない。

 留美子の目は冷たく伶を見返してくる。何を言っているのか、という顔だった。

「伶ちゃん、わかってる?」

 ――人間じゃない。

 昨日の彼女の言葉が蘇る。

 確かにそうなんだろう。

「でも、人間じゃないからって……!」

「夕飯の支度、手伝って」

 ナダは居間で眠っていた。会話は聞かれてもたぶんわからないだろう。もしわかったとしたらそれでもいいと思った。

 身の危険を感じて逃げられるなら、そうしてほしい。

 留美子は淡々と、器に三人分の甘酒を注いだ。

 懐かしかった。小さい頃はこれが大好きで、伶も喜んで飲んだ。だけど今は、白く濁った液体が忌々しいものに見える。

「さっき、懐かしい人に会ったよ」

 留美子はそう言って甘酒に口をつける。別に毒が入っているわけじゃないから、大丈夫だろう。

「え?」

「たぶんここにも来るけど、土地の話、伶ちゃん本当に……」

 留美子の言葉は、それ以上続かなかった。

「……っ」

「留美子?」

 彼女は喉をおさえたかと思うと、苦しげにもがき出す。

「おい……!」

 何が起きているのかわからなかった。彼女はそのままその場に倒れる。

 慌てて伶は彼女を助け起こした。留美子は青白い顔をして、ぴくりとも動かない。

「留美子……!!」

 怖くなって、彼女から手を離す。

 目を開いたまま彼女はそこに横たわっていた。

 まさか死んだ、のだろうか。

 そばにいつの間にか、ナダが立っていた。

 まだ子供の姿のままの彼は、何の感情もうつさない目で伶と留美子を見ていた。

「お前が……何か、したのか?」

 そのとき急に、チャイムが鳴った。もう夜だ。さっき受け取ったままの煮物がテーブルの上にあることを思い出す。またどこかの家が何か作ったものを差し入れしに来たのだろうか。

 ぴんぽんぴんぽんと何度もチャイムが鳴らされる。とても友好的な態度とは思えなかった。

 家に借金取りの男たちが押しかけてきたときのことを思い出して、背筋がぞっとする。

 頭がぐらぐらする。どうすればいいのか。救急車。警察。戻れない。騙された。誰も信じちゃいけない。人間じゃない。殺さないと。

 どうしてこんなことになったのだろう。どんどんとドアが叩かれている音がする。

 留美子はたぶんもう手遅れだ。何もできない。

 とにかくここにいちゃいけない。

「……逃げよう」

 伶は、微動だにしないナダの手を取った。