突然だが、ルームメイトに襲われている。

 わけがわからないと思う。実際俺も、よくわからない。

 これは夢だ。

 そう何度も言い聞かせる。

 

「やっ♡ あっ……♡」

 

 こんなことあっていいものか。

 そりゃあ、アニメや漫画の中なんかだと、エッチな悪魔の女の子が現れて……なんてことも少なくない。

 だがここは現実だ。

 俺の部屋だ。

 かわいい淫魔だったら俺だって歓迎しないでもない。

 

「や…っ♡ あっんんっ♡」

 

 だが、俺にまたがっているのは男だった。いや、男……なんだろうか? もうこうなってくるとよくわからない。

 部屋は暗くてよく見えない。半ば閉まっているカーテンの隙間からの明かりで、かろうじて彼の顔が見える。

 

「んっ♡」

 

 美形だ。それはわかる。大きめのパジャマを着ていて、男にしては線が細い。薄暗い中で目が光って見える。

 いつものような眼鏡はしていない。冷たく見える、銀縁の眼鏡だ。

 

「あっ、あんっ♡」

 

 そう。俺の上にまたがっている男の、普段の姿を俺は知っている。というか、ルームメイトだ。

 これは夢だ。

 俺はそう思おうとする。

 

「な、もう……やめっ」

「何言ってんだよ、これからだろ?」

 

 彼は笑いながら言う。単にまたがっているだけじゃなく……俺の物は彼の内部に出入りしている。

 どう考えてもおかしい。だから俺はこれを夢だと思おうとする。

 

「あ♡ んっ♡」

 

 大学生になって地方から出てきて……だけど思い描いたようには、彼女はできていない。認めたくないが俺は、欲求不満なのだろう。

 だからこんな夢を見ている。

 

「なんか……設定が、よく、わかんないんだけど……」

 

 だがなぜ相手が男のルームメイトなのか。

 彼女ができたらいいな、という夢はあった。俺はまだ、女性と付き合ったことがない。だからセックス自体初めてだった。

 

「そこっ♡ やぁ…っ♡」

 

 こんな風に襲いかかられて不本意だけれど……信じられないくらい気持ちが良かった。

 ぎゅうと狭い場所に入っているのがわかる。熱くて、狭くて、搾り取られる。

 

「や…っ♡ そこっ♡ あっ、あんっ♡」

 

 実はこの夢自体も初めてではない。少しだけ慣れてきている俺は、彼の腰をつかんでゆるく前後させる。

 夢の中で、彼はほとんどまともなことを喋らない。ただ淫らで、とんでもなくいやらしい。敏感で、俺が動くたびにびくりと体を震わせる。

 

「っぁ……♡ あっ♡ だめ…」

 

 つんととがった乳首をつまむと、声が更に甘くなる。こりこりと刺激してやると、彼は更に身もだえした。

 

「やっ♡ だめっ♡ ああっ♡」

 

 夢にしても度が過ぎていると思う。だけど正直、悪くない。

 たぶん彼は淫魔にとりつかれてでもいるのだろう。……そう思うことにする。

 だってこんな都合のいいこと、現実にあるわけがない。

 

「や……っ♡」

 

 ずぶずぶと抜き差しをしても、彼は気持ちが良さそうに身をよじるばかりだった。俺は普段自分でするのとは桁違いの快感に、すぐに達してしまいそうになる。

 これは夢だ。

 相手が女の子じゃなかったのだけが計算違いだが……とにかく、こんな美形に乗りかかれているのだ。悪い気はしない。というか、気持ちが良すぎてどうしていいかわからない。

 

「ああ……っ♡ だめっ♡ いっちゃ……♡」

 

 俺の上で、彼はびくびくと身もだえしていた。同時に内部がきゅうと収縮して、俺もこらえられなくなる。俺はそのまま、彼の内部に吐き出した。

 

「あっ……♡」

 

 まだ彼は小さく痙攣するように震えていた。脱力してきたその体を、俺は抱きしめる。

 こんなに夢で気持ちがよかったら、この先どうしたらいいのだろう。

 そこらの女性よりよっぽど美形で、いやらしくて、優しい男を知ってしまったら。

 

「いっぱい出たね♡」

 

 少しだけ疲れた顔でそれでも笑って、彼は俺にキスをする。やわらかい笑顔だった。普段のこの男の表情とは似ても似つかない。

 やっぱり、これは夢だ。俺は何度も目をこすった。

 

 ・

 

 

「あの……昨日俺の部屋来た?」

「は?」

 

 銀縁の眼鏡を光らせて、パソコンに向き合っていたルームメイトは面倒くさそうに振り向く。俺の部屋とは違い、完璧に整理整頓され、難しそうな理系の本が並ぶ。

 

「なんでてめぇの部屋に行くんだよ」

 

 荘田というこの男が、俺のルームメイトだった。俺の地方では、たまたま同じ高校から同じ大学に進む生徒が、二人きりだった。だから仲良くしたいと思って、かなり積極的にルームシェアをしようと誘った。

 だが、荘田は整った顔立ちはしていても、言葉が荒く、冷たい男だった。

 俺と違って理系の学部で、かなり頭がいい。高校の頃は、ほとんど話をしたこともなかった。いつも一人でひっそり本を読んでいて、先生より正しいことをたまにぐさりと言う……そんなイメージだった。

 

「いや……なんか、荘田に似た人を見たっていうか」

「はぁ?」

 

 冷たい目でにらまれて、俺はうまく言葉を紡げない。

 

「夢、かなぁって」

「寝ぼけてんのか? 実家出たからって調子こいてんじゃねぇぞ」

 

 今日こそは、ちゃんと原因を明らかにしようと思っていた。

 昨日の夢もはっきり言って最高だった。だが、いつまでこのままじゃいけないと俺は決意していた。

 夢は最高だ。……だがこのままだと、最高すぎて彼女ができない。

 エッチで美人で何一つ文句がない。ただその姿が男のルームメイトそのままで、夜中しか会えないということを除けば。

 

「なに人の夢勝手に見てんだよ」

「だって、夢はしょうがないだろ!」

「前にも何かそんなこと言ってたな?」

 

 どう考えても荘田本人が部屋に来たとは思えない。この冷たい理系眼鏡が、「あん♡」なんて言うわけがない。

 つまりあれは俺の夢なんだろう。

 欲求不満説の勝ち。

 だけど、夢なんだったらもうちょっと融通が利いてもいいと思う。俺はもともと巨乳の女の子が好きだ。荘田はちょっと男にしてはどきっとするほど整った顔立ちをしているけれど、だからといって通常時、キスをしたいとかセックスをしたいとかは思えない。

 あくまで俺にとってはルームメイトだった。

 

「いや、やっぱり何でもない」

「詳しく話してみろ、仕方ないから聞いてやる」

 

 パソコンをスリープモードにして、荘田が俺に向き直る。

 詳しくと言われても、言えることはそう多くない。彼の顔を改めて見ると、夜の間に見ているあの男の姿と、確かに外見だけはそっくりだった。

 眼鏡をしているかしていないかくらいだ。

 俺はたどたどしく、だけどあくまでやばいところはぼかしながら、夢のことを話す。

 

「だから、もしかしたら荘田、何かにとりつかれてたりしないか、と思って……」

 

 人の精気を吸わないと元の世界に戻れないインキュバスか何かでもとりついているんじゃないだろうか。そして、その間はきっと荘田の記憶は消えているのだ。そんな漫画を昔、読んだことがあるような気がする。

 信じがたい話だが、そうでも考えないとおかしい。荘田は淫魔に取り憑かれている。そうに違いない。

 だが、俺は冷たく睨まれてびくりとする。

 

「聞くだけ損した」

「何でだよ」

 

 荘田は大きなため息をついた。確かにろくでもない話だったかもしれない。だけど、話せと言ったのは彼の方だ。

 

「ついでに、ルームシェアなんてするんじゃなかった」

「それはこっちのせりふだけど、何でだよ!」

 

 荘田は普段、一緒に暮らすには苦労のない相手だ。夜更かしもしないし、うるさくしたりもしない。ちゃんと掃除もしてくれるし、まぁむしろ、俺の方が迷惑をかけている自覚はある。

 

「つまりお前、俺が好きなんだろ?」

 

 荘田に言われて、俺は固まる。

 

「……はぁ?」

 

 荘田はやれやれという様子で目の間をもんでいる。何を言われたのか、俺はよくわからなかった。

 ばかばかしい妄想だ、というのはわかる。欲求不満だ、と言われてもまぁ……納得はできないがいいだろう。

 でも、荘田のことを好き?

 

「俺のことが好きすぎて、夢にまで見る。そういうのは、ルームメイトとしては最悪だ」

「なっ……好きなわけねぇだろ!!」

 

 だが確かに、荘田がそう受け取るのもわからなくはない。

 「お前の出てくるエッチな夢を見るんだ――」そんな告白を同性からされたらどうしたらいいのか。俺ならとりあえず逃げる。下心があるのだろうと思うのは当然だろう。

 

「だからルームシェアなんてやめようって言っただろ」

 

 確かに、渋る荘田を説得したのは俺だ。だけどそのかいあって、大学にほど近い、きれいで新しいマンションに一緒に住めている。一人だったらとても家賃を払えなかった。

 俺の方が迷惑をかけているかもしれないけれど、おおむねうまくいっていると思う。俺のやばい夢を除けば。

 

「変な男に言い寄られるのはうんざりだ」

「誰が変な男だ」

 

 荘田はそんなにたくさん、言い寄られているのだろうか。

 確かに男だからあまり考えたこともなかったけれど、整いすぎて少し怖いくらいの顔立ちではある。縁のない眼鏡のせいで、余計に隙なく見える。

 こういう男のことを好きになる男は、いるのかもしれない。整った冷たい顔。

 言われてみると納得できる気がした。こいつを押し倒して喘がせてみたいと思う男はいるだろうと、はっきりと理解できてしまった。胸の中がざわざわする。

 

「何か……嫌な思いさせたのなら、悪かった」

 

 そんなつもりはなかったけれど、俺の発言はセクハラだったかもしれない。女性に「あなたとセックスする夢を見るのでとりつかれていないか」なんて口にしたら、殴られるぐらいじゃ済まないだろう。

 今更ながら罪悪感に襲われた。

 

「ちょっと、疲れてるのかも」

 

 そもそもあの夢自体がセクハラそのものかもしれない。あんな夢のこと、かけらでも口に出すべきではなかった。そういう夢を見てしまったのはこの際仕方がないとしても、 墓まで持って行く類いのことだ。

 ルームメイトの、あんな淫夢を見るなんて。

 だいたい、こいつがあんなエロい顔をして、ハートマークをちりばめた声を出すなんてありえない。自慰だってまともにしてるか怪しいのに。

 というか、あれはどうやるんだろう。わけがわからない。

 

「いや」

 

 荘田はそう言って立ち上がる。部屋を出て行きざま、俺の肩をぽんと叩いた。

 

「疲れてるならしょうがないだろ。今日はお前の分も飯、作ってやるよ」

 

 いつもは冷たいのに、こうたまに優しいから困る。しかも彼が作るご飯はおいしいのだ。

 俺は触られた肩をなんとなく意識してしまって、どうしていいかわからなかった。

 

 ・

 

 もうあんな夢は見たくない。

 欲求不満がいけないのかと思って、合コンに出かけた。

 体力が余っているのかもしれないと思って、外に走りに出たりもした。

 だけど、俺は継続的にあの夢を見続けていた。

 

「なぁ、もう、やめ……っ」

 

 夢の中で、俺はささやかな抵抗を示そうとも試みた。だが、男にベッドの上に乗られてしまうと、もうだめだった。

 

「あ、ぁんっ♡」

 

 魔術でも使われているんじゃないかと思うくらいに、頭がぼうっとして、彼のことしか考えられなくなる。そのままなめらかに服を脱がされ、俺はやっぱり彼とセックスをしていた。

 

「荘田……っ」

 

 夢の中の彼は、荘田と言われても怒らない。なまめかしい顔で笑って、俺にキスをする。

 どんな強い酒に酔った時より、頭がくらくらする。彼の体はどこもかしこも敏感だった。

 

「んっ♡ あっ♡ 気持ちいい……っ♡」

 

 もうやめるどころか、むしろどんどん深みにはまっていっている気がする。

 

「こんなっ、俺……っ」

「んんっ♡ ぁあっ、ああっ♡」

 

 

 昼間でも、荘田の顔をろくに見れなくなった。申し訳ないやら恥ずかしいやらで、目があうとかあっと顔が赤くなってしまう。

 俺は完全に、荘田をそういう目でしか見れなくなっていた。

 

「黒井?」

 

 けげんそうに荘田は言う。

 

「ごめん」

 

 やっぱりルームシェアなんてするべきじゃなかったかもしれない。

 今、荘田には彼女がいない。いや、彼氏なのかもしれないが。どっちともいないらしい。

 でも彼がその気にさえなればすぐにできるだろう。ルームシェアを始めたときに、恋人は連れ込まないようにというルールは設けた。だからセックスはこの部屋ではしないだろう。

 でも、どこかではする。

 そのことを思うだけで、胸が苦しくなって何も考えられなくなる。頭の中が、夢の中でもそうじゃなくても、荘田でいっぱいだった。

 

「どうしたんだ」

 

 態度があまりにおかしかったせいのか、荘田が俺の部屋に入ってきた。

 あの夢とは違う。普通に服を着て、眼鏡をして、いつも通りの荘田だ。でも、俺は今だって彼を押し倒したくなっている。そんなことしたらただのレイプなのに。

 

「体調でも悪いのか?」

「ごめん……」

「謝るだけじゃわからない」

「ルームシェア、解消しよう」

「どうして」

「好きだから」

 

 荘田は男から告白されることには慣れているようだった。きっとこんな風に、何人も男を狂わせてきたのだろう。そう思うと、嫉妬のようないらだちがわいてくる。

 

「あんたのこと好きになったからだよ……!」

 

 俺はやつあたりのように言って、クッションを投げつけた。こんなこと言っても、荘田には迷惑なだけだとわかっているのに。

 

「黒井」

 

 俺が抱いていたのは空想の彼で、それは現実とは混同してはいけないものだ。わかっていたはずなのに、止められなかった。

 こんな気持ちで、彼のそばにはいられない。

 

「出てけ!」

「おい」

「出てってくれ! お願いだから!」

 

 俺はうめきながらうつむいた。友人を襲ってしまいたくはなかった。 

 しばらくして、荘田が部屋から出て行く気配があった。

 これでよかったのだ、と思おうとする。最初から俺と彼との間には何もなかった。

 あれは夢だ。

 現実の彼は、俺にまたがってはくれない。かわいらしいあえぎ声を出してもくれない。妄想を楽しむだけなら自由だ。だけど、現実にそれを持ち込むのはルール違反だ。

 俺はもう、どうしていいかわからなかった。

 

  ・

 

 それから荘田とはすれ違いの日々が続いた。

 もともと学部が違い、勉強熱心な彼と俺の生活リズムはそう合わない。俺は不動産屋に行き、新しい住まいを探していた。

 だが、大学に近く一人暮らしに向いた値段のほどよい物件は、なかなかなかった。

 

「今は引っ越しシーズンでもないですからねぇ」

 

 それもそうだろう。普通の大学生なら三月に引っ越して、いきなりまた四月に引っ越そうとは思わない。

 そうすると、条件が悪かったり値段が高い物件しかないのだが、俺は手持ちの余裕もなかった。バイトも初めていたので、今の家からそう遠くないところが理想だ。

 早く出て行かなければと思いながらも、なかなかできずに焦りが募った。

 

 出て行くと決意したせいなのか、幸いにもあの夢は見ていなかった。

 だがそうすると、飢えばかりがつのった。荘田の顔を見たいと思ってしまう。俺は記憶の中の彼を思い描きながら、一人のベッドの上で静かに自慰をした。

 空想の中の彼は、夢の中のなまめかしい姿になったり、現実の冷たい姿になったり、様々に表情を変えた。

 同じ家の中に住んでいる。

 でも、俺は彼を避けていた。避けながら、彼に会いたいと思っていた。

 今まさに達しようかというとき、こんこんとドアがノックされる。

 

「黒井?」

 

 俺がおかずにしていた本人だった。ペニスを手にしたまま俺は固まる。

 

「何だ?」

 

 ドアに向けて俺は大声を出す。もし、そのまま荘田が入ってきたら終わりだ。

 

「いや……」

 

 荘田が俺の部屋に来るのは、いつも何かよっぽどの理由があるときだった。だが、今日の彼はなぜか歯切れが悪かった。

 

「入ってもいいか?」

「だめだ!」

 

 下半身を露出した間抜けな格好を見られたくはない。俺は慌てて服をたぐり寄せながら何とか答えた。

 

「そうか……」

 

 何か文句を言ってくると思った。だが、ドアはそれきり沈黙していた。

 

「荘田?」

 

 もう答えはなかった。立ち去ってしまったらしい。何の用事だったのだろう。

 わからないけれど、もう自慰の続きをする気にはどうしてもなれなかった。

 

 

 

 まるで、仲の冷え切った夫婦みたいだなと思った。

 家の中にいる気配は感じる。冷蔵庫の中身の位置が変わっていたりして、生活しているのはわかる。だが、顔を合わせることもなく会話もしない。

 そういう日々が何日か続いた。

 俺はその日、予想外の残業を頼まれ、長時間バイトに立ってくたくただった。鍵を開けようとして、なぜか開いていることに気づく。

 

「荘田?」

 

 彼は普段、鍵を開けっぱなしにはしないたちだった。かけ忘れだろうか。

 玄関には彼の靴があった。だが靴と同時に、玄関先に泥がついているのが目に入る。その足跡は、荘田の部屋の方に向かっていた。

 がたん、と荘田の部屋の方から音がした。

 何事か言い争っているような声も。

 

「荘田?」

 

 やめろ、と言っているような気がする。荘田の部屋のドアは閉まっていた。

 お互いのプライバシーは尊重しようと言ってきた。でも、これは尊重すべきときだろうか。

 俺は一瞬、ドアの前で悩む。

 だが、それは一瞬だけだった。

 何事もなかったのならそれでいい。でも、もし緊急事態だったら。

 

「荘田!」

 

 俺は思いきりドアを開けた。いつもきれいに整頓されている荘田の部屋は、空き巣が入ったみたいにひっちゃかめっちゃかだった。

 そして床に、荘田が押しつけられていた。

 パーカーを着た男が、のしかかっている。荘田のシャツは破かれ、男は下半身をむき出しにしていた。

 かあっと頭に血が上った。俺は思いきり、男の首根っこを掴む。

 

「てめぇ何してんだ……っ!!」

 

 そのまま怒りにまかせて、壁に男の体を押しつけた。それだけでは収まらず、頭を殴りつける。男は急なことに動揺しているのか、ほとんど抵抗はしてこなかった。

 ぐったりと床に横たわる男を見て、俺は呆然とする。

 誰かを殴ったりするのは初めてだった。

 荘田も、服をかき寄せた格好で、呆然とこちらを見上げていた。眼鏡が外れかけている。

 

「ありがとう……」

 

 荘田はぽつりとうつむいて言った。やっぱり好きだと、俺は強く思ったけれど、何も言えなかった。

 

 

 男は荘田のストーカーらしい。

 高校の頃からつきまとわれていて、実家では何度か警察沙汰になっていたらしい。

 

「一人暮らしにはもともと反対されてたんだ」

 

 俺が入れたお茶を飲みながら、荘田は静かに話した。

 証拠写真を撮り、警察に連絡するぞと言って脅したところ、男は一応素直に引き下がった。今回は、警察を呼ぶのはやめようと荘田が言ったのだ。

 だが、またいつやってくるかはわからない気がする。俺はまだ高ぶった気持ちを持て余していた。

 

「ごめん……」

 

 彼を無理矢理にルームシェアに誘ったのは俺だ。ここは特にセキュリティのしっかりしたマンションというわけではない。オートロックもなく、今日も荘田が鍵をあけた瞬間を狙って無理矢理押し入ってきたらしい。

 

「黒井が悪いわけじゃない」

 

 俺は頭を抱える。

 ルームシェアに引きずりこんだことも、好きになってしまったことも、どちらも謝りたかった。

 

「家、探してるんだけど……もう少し待ってくれ」

「こんなことがあっても、出て行くって言うのか」

 

 冷たく荘田は言ったが、その意図はよくわからなかった。ボディガード代わりになれということだろうか。

 今日、彼は俺にお礼を言ってくれた。

 でも、次に彼を襲うのは俺かもしれない。俺は、あのストーカーの気持ちがわかるのだ。きっと頭の中が荘田でいっぱいになってしまって、どうにもできなかったに違いない。

 まさに俺と同じだ。

 

「そうするしかないんだ」

「俺は別に、誰かの妄想する通りの都合のいい人間でもないけれど、お前が想像するとおりの清廉潔白な人間でもない」

「何のことだよ」

「俺にだって、性欲も好みもあるってことだよ」

 

 荘田はずれていた銀縁の眼鏡をかけ直していた。いつも通りの、理知的な顔だ。

 彼の言うことは、言葉だけ取れば当たり前のことのようだった。でも、何か違う意図があるのだろうか。

 

「どんな……? いや、何でもない」

 

 どんな風に言われても、俺は対象外だろう。彼のそばにいない方がいい気がして、俺は立ち上がる。

 

「黒井」

 

 俺を呼ぶ声に、混じっているのはあきれだろうか。どこか切ない響きがあるように聞こえたのは、錯覚なのか。

 振り向いても、荘田は無表情なままだった。

 

「何かあったら、すぐ呼んでくれ」

 

 俺はそれだけ言って、自分の部屋に閉じこもった。

 

 ・

 

 腹が減っていたけれど、あまり食事を用意する気持ちになれなかった。

 ぐるぐると荘田のことばかりを考えている。確かに、俺がこの家を出てしまったら、セキュリティとしては薄くなってしまう。それだったら、荘田にも引っ越しをしてもらうべきかもしれない。

 でも、引っ越し代だってバカにならない。俺のバイト代からどうにかして出せるだろうか。できればこの部屋との家賃の差額も出したいけれど、それはさすがに無理かもしれない。

 こんこん、とドアがノックされる。

 だが今日は、俺が何も答える前にドアが開いた。まだ夜と言うには浅い時間だった。

 

「荘田……?」

 

 何となく、夢とシチュエーションが似ている気がした。

 でも夢じゃない。その証拠に、彼は眼鏡をかけている。夢に出てくるときはいつも裸眼だった。

 

「どうかしたのか?」

 

 荘田は何も言わない。

 近づいてきた彼は、急に俺をベッドに押し倒すと、強引に唇を重ねてきた。

 

「んんっ……!」

 

 混乱して俺はどうしていいかわからなかった。夢? 夢なんだろうか? 目の前にある荘田は冷たい、いつもの顔のままだ。笑ってもいない。眼鏡もしている。

 

「何、して……っからかってんならやめろ……!」

「お前、鈍すぎだろ」

「え……?」

 

 荘田はゆっくりと眼鏡を取る。

 

「何……?」

 

 再び俺はベッドに押し倒され、荘田の顔を見上げる。眼鏡を取った顔は、夢に出てくるのとまるで同じだった。

 肌はそばかす一つなく透き通り、アーモンド型の大きな目が潤んだように俺を見下ろしている。

 

「ゆ、夢……!?」

 

 俺はいつの間にか眠ってしまったのだろうか。だが、それにしてはリアルだ。間近に迫る吐息も、柔らかそうな唇も……。

 俺の頭が考えることを放棄したがっている。

 でも、考えないといけない。これは夢か。夢じゃないのか。

 もしこれが夢ではないのなら。今までだって同じだったんじゃないのか。

 そのまま深くキスをされて、俺は身動きがとれなくなる。なまめかしい舌が入ってくる。夢と同じか……なぜかそれ以上に生々しいキスだった。

 

「夢なわけないだろ、バーカ♡」

 

 俺の口の中を思うさま蹂躙して、荘田は笑った。

 ほしくてたまらなかった荘田本人を目の前にして、頭のネジが吹っ飛びそうだった。もしかしたらもうとっくに、理性なんて飛んでいたかもしれない。

 

「んっ……っ」

 

 俺は思いきり荘田の体を掴み、体を反転させる。そうして彼をベッドに押しつけて、キスをし返す。

 元童貞だった俺だって、それなりに学んだ。……夢の中で。

 

「うまくなったじゃん、キス」

「先生がうまいからな」

「最初くっそ下手くそでどうしようかと思っ……」

 

 胸に手を這わせると、彼はびくりと反応する。

 彼の体のことならよく知っている。何度も夢の中で抱いた。それから記憶の中で何度も繰り返し再生してきた。

 もしかしたら、心の奥底ではわかっていたのかもしれない。

 夢だということにすれば言い訳がつくと。

 

「現実だよな?」

 

 既にとがっている胸の先をこりこりと刺激しながら尋ねたが、荘田は口を閉ざしたままだった。

 

「好きだよ、好きだ。抱きたくてたまらなかった」

 

 きっかけがなかったら一生気づかなかったかもしれない。自分が男を好きになれるのだと。

 でも、今となっては以前の自分が思い出せないくらいだった。

 

「やっ……」

「お前は?」

 

 キスをしながら、胸をいじりながら、性器にも手を伸ばす。感じやすい彼の体は、もうはっきりと反応を示していた。

 久しぶりに触れる体に、信じられないくらい興奮する。

 彼もそれは同じなのかもしれなかった。元から敏感だけれど、今日は更に如実な気がする。

 

「他の誰かとしてた?」

 

 それでも、不安になって俺は尋ねる。

 

「するわけないだろ……っ」

 

 一瞬だけ、冷たいいつもの顔に戻って荘田は言う。

 どっちの顔も彼だ。頭の中でばらばらだったものが混ざり合う。

 

「よかった」

 

 夢の中ならどう対処していいかわからなかったけれど、現実ならわかる。

 俺は彼の乳首を刺激しながら、奥の穴に指を入れる。以前より少しきつい気がした。

 

「ぁ……っ♡」

 

 少しずつ溶けていく彼の様子を見ているだけで、興奮が高まってきて性器が痛いほどだった。早く入れたくてたまらなくなる。高ぶった性器を腿のあたりに押しつけると、びくりと荘田は一瞬逃げるような動きをする。

 

「お前の中に、いれたくてたまらなかった」 

 

 荘田は濡れた目でこちらを見上げてくる。俺はもう一度かがみ込んでキスをする。

 いつの間にこんなに溺れてしまったのだろう。ここのところ触れていなかった分、飢えきっていてどうしようもなかった。いつまででも、何回でもしたい。彼を自分だけのものにしたい。

 

「お前は?」

 

 どうして、そもそもあの夢は始まったのか。

 誰でもいいならあのストーカーでもよかったはずだ。

 どうしても彼の口から何らかの答えを聞きたくてうずうずしたまま待っているのに、彼はいつの間にか手にゴムのパッケージを持ち、笑っていた。

 

「さっさと入れろよ、童貞」

「っ」

 

 俺は思いきり、そのまま彼を刺し貫く。

 

「やっ……っ♡ ゴム、つけろって……」

 

 今回は俺の方が余裕があると思ったのに、そんなものかけらもなかった。まだ少し中はきつい。だけど、内壁をこすり上げると、荘田は気持ちがよさそうにあえいだ。

 

「んっ、やあっ♡」

 

 奥まで埋めて、再度突き上げる。

 

「んっ♡ ぁあ……っ♡」

 

 荘田はほとんど泣きそうな顔をしていた。いつもは冷たい顔が、口を半開きにしてただ快楽に溶けている。同時に乳首も刺激してやると、びくびくと一層大きな反応を示す。

 

「ひっあ、あ……♡」

「好きだよ……」

 

 すぐにもっと激しく突き上げたい気持ちをこらえて、俺は呟く。

 だが動きを止めていても、うねる内壁に刺激されて、快感はつのるばかりだった。荘田の両方の胸の先端を刺激する。更に、内部が収縮するのがわかる。

 

「やっ♡ ぁあっ♡」

 

 荘田はあられもない姿で快楽をこらえているようだった。でも、少し俺が身じろぎするだけで、まだその口からあえぎ声が漏れる。

 それでも、俺は動き出したい気持ちをぐっとこらえた。

 

「荘田」

 

 もう一度促すと、荘田は泣きそうな声で言った。

 

「俺も、好き……♡ 好き、だから……あっああ♡」

 

 めちゃくちゃに奥を突き上げると、荘田の内部が一層ぎゅうと締め付けてくるのがわかった。

 

「や、あっ♡ だ、め……っ♡」

 

 びくびくと体を震わせながら、荘田はイっていた。今まででも、たぶん一番早かったんじゃないかと思う。絞られて、俺もこらえようとしたけれどだめだった。

 そのまま荘田の奥に精を放つ。

 荘田はしばらく、びくんと体を震わせていた。俺はなかなか荘田の中から出たくなくて、そのまま息を整えようとする。

 高ぶった気持ちのままキスをすると、ぐったりしているかに見えた荘田が、また舌を絡ませてくる。

 

「こんなんで終わりじゃないよな♡」

 

 俺は思わずごくりとつばを飲んだ。明日の朝に一限の授業が入っていることをちらと思い出したけれど、早々に諦める。

 淫魔なんて夢の中の幻だと思っていた。

 でも、いる。

 いなかったけれど、いる。

 現実がこれだけすごかったら、夜に何を夢見たらいいのだろう。

 意識が他に向いたことをとがめるかのようにまたキスをされて、俺は果てのない快楽に溺れていった。