約束と拘束のスピンオフです。この話だけでも読めます。

 

 

 

「また振られたのか?」

「……別にいいだろ」

「また美人を追いかけ回してたんだろ」

 

 事実なので浅野は否定できなかった。とりあえずビールを口に運ぶ。

 

「俺は美人が好きなんだからいいだろ。何が悪い」

「いいや」

 

 目の前の男はにやにやしている。いつもそうだ。浅野が振られるのを見ては笑っている。だが、他に愚痴を言える相手もいないので結局は彼を呼び出すしかなくなる。

 

「いい加減学べよな」

 

 長塚は楽しそうにほっけを箸でほぐしている。居心地のいい和食の居酒屋だ。いつも彼と来るときはここだった。

 浅野はバイであることを隠していない。何なら、顔のいい男・女が好きだということも。そんなことで偏見を持つ相手とは、もとから付き合う気もないからだ。

 とはいえ、面倒な性格である自覚はある。長塚は、数少ない昔からの友人だった。

 

「あーはいはい、身の程を知れって言いたいのか」

 

 おしゃれをするのは好きで、でも高校の頃は色々と制約もあって、自由にはできなかった。大学に入ってからパーマをかけたり、ブランド物を買ったり、色々試すようになった。だけど言われるまでもなく、自分のもともとの容色が十人並みであることくらいわかっている。

 

「いや似合ってる、それ」

「だろ?」

 

 長塚はふいに手を伸ばしてくる。結構な金がかかったが、髪色もパーマのかかり具合も気に入っている。だから浅野はさせたいようにしておいた。検分するように浅野の髪に触れ、長塚の指はすぐに離れていく。

 

「でも振られた」

「おい」

 

 浅野はテーブルの下で、長塚の足を蹴り上げた。長塚は悪びれもせず笑っている。

 

「まぁ飲めって」

「最初っからそのつもりだよ」

 

 浅野はビールを飲み干し、焼酎を注文する。

 

「今回はまた、荒れてるな」

「俺は本気だったんだよ。いやまぁいつも本気だけど、今回こそって思ってたんだ」

 

 浅野にとって重要なのは顔だ。顔の整った女、あるいは男が好きだ。それはもうどうしようもなく、そうなのだった。

 でも、毎回ちゃんと本気で好きになっている。特に今回振られた相手はどこか影があってさびしそうで、そのくせ野生動物みたいに気が強くて、なついてくるのが楽しくて仕方がなかった。一応友人関係としては続いているのが救いだが、胸の中がぽっかり空いているような寂しさは拭えない。

 

「ふぅん。そんなにイケメンだった?」

「そりゃもう。ちょっとかわいい系入ってるけど」

 

 違う大学に通う長塚とは、普段からちょくちょく会うわけではない。

 こうやってたまに浅野が呼び出して、あれこれ愚痴を言いながら飯を食う。長塚との関係はそれだけだった。

 

「写真は?」

「見せねぇよ」

「あんのか」

「うるさいな。あっさっきの刺身、写真撮ればよかった」

「これでいいだろ」

「ほっけのばらばら死体撮ってどうすんだよ」

 

 今でこそ、浅野は美形が好きなことを隠していないし、バイであることも聞かれたら答える。高校生の頃は違った。

 その頃も、すごく好きな同級生がいた。無口で美人な子だった。だが、彼女が不登校になってしまい、浅野のせいだとクラスで非難され、陰口をたたかれた。そのとき、かばってくれたのが同じクラスにいた長塚だった。

 

「まぁ、辛いよな、失恋は」

「わかったように言いやがって……お前はどうなんだよ」

 

 長塚は当時からクラスで背が一番高く、バレー部で活躍していた爽やかな男だった。古くからの地主の家系で、地元では知らない人がいないらしい。転校してこの地域に来た浅野は知らなかった。スポーツよりもゲームが好きな浅野とは正反対だったが、なぜか親しくなった。

 クラスで長塚を嫌いなやつなどいなかった。だから、長塚が味方になると悪口も自然と沈静化していった。

 

「俺はまだ」

 

 長塚はモテる。だが、彼の口から浮ついた話を聞いたことは一度もない。

 

「お前、隠してるだけじゃないだろうな。付き合ってる相手とか、そうなりそうなやつとか、いないのかよ」

「だからまだだって」

 

 こういうやつに限って、いきなり「子供ができた」とか言いそうな気がする。そうしたらまた別の相手に振られたとき、誰に愚痴ればいいのだろう。

 

「俺はさ、応援してるんだよ、浅野のこと」

「……どうだかな」

 

 白々しく長塚は言う。でも、確かに彼は浅野の恋を、一度も否定したことはなかった。

 顔しか見ていない。

 人は外見じゃない。

 心を軽視している。

 顔のいい男女が好きだと知ると、それだけで結構散々なことを言ってくる相手もいる。みんな本当は美男美女が好きなくせに。

 でも、長塚は絶対に、浅野が誰を顔で好きになっても、批判しなかった。ただ黙って話を聞いてくれ、振られたら笑って一緒に酒を飲んでくれる。

 

「早く、美人な恋人ができるといいな」

 

 度の強い酒で心の痛みを紛らわせながら、浅野は長塚の励ます声をずっと聞いていた。

 

 ・

 

「そんなに男女問わず美人が好きならさー、なんで長塚にしないんだよ」

「は?」

 

 二日酔いで学校に行き、授業を受けた。もともと浅野はこの大学の系列高校の出身だ。長塚も同じところだった。だから、大学が違っても長塚のことを知っている同級生は多い。

 

「一番顔がいいの、あいつだろ」

「いやいや、長塚とか、ないから」

 

 何を言われたのかと思った。確かに、早く失恋の痛みを紛らわせたい。新しい恋に落ちたい。でも、手近にいるなら誰でもいいわけじゃない。

 

「手近だからとかじゃなくて、顔の良さの話だって」

 

 同じく高校から持ち上がりの山口が言う。

 

「いや、そりゃあいつはいかにもイケメンぽいかもしんないけどさ」

「ぽいじゃなくて、明らかイケメンだろ」

 

 長塚をそういう目で見たことがないので、本気で浅野にはぴんとこなかった。

 

「いや、私長塚と比べられんのだけは嫌だわ……」

 

 別の友人まで言い出す。

 

「嘘だろ!?」

「ていうか、浅野が美人を好きなのは、長塚のそばにいすぎて感覚狂ってるせいなのかと思ってた」

「いや、待てって」

 

 長塚は友人だ。特に失恋の話を聞いてくれる貴重な人材だ。確かに浅野はバイで、どちらかというとゲイ寄りなので男は全然ありだが、長塚は対象として考えたことがない。

 実際、長塚だってそうだと思う。彼の好きな相手の話を聞いたことがないので、ヘテロかどうかはわからないが。きっとかわいらしい女の子が好きだと思う。

 

「いやー、だって友人ですつって出てくんの長塚でしょ。きついよ」

「きついのは俺だって。冗談やめろよ」

「当人同士の話だから知らんけどさ」

 

 彼らは何か自分に恨みでもあるんだろうか。

 急に変な方面から責められて、浅野はどう反論していいかわからなかった。

 確かに長塚はいい友人だ。好きかと言えば好きだ。でも、彼はむしろ振られたときの最後の砦であって、もし長塚に振られたら愚痴を言える相手がいなくなってしまう。

 

「あいつは大事な、愚痴要員だから」

 

 正直なところを口にすると、二人とも黙ってしまった。

 

「いや、なんか長塚、かわいそうだな……」

「あんなにイケメンなのにね……」

 

 確かに、長塚は美形だろう。そのくらいわかっている。でも、違うのだ。

 いくら美形を好きでも、長塚だけは違う。長年のいい友人だ。これまでも、きっとこれからも。

 

 ・

 

 頭が痛い。がんがんと痛む。

 二日酔いだ。大学に進学してから、もう何度この痛みに苦しめられてきただろう。

 

「まぁ、確かにそうだよなぁ」

「何言ってんだよ」

「いや、この間、なんかお前のこと『すげぇイケメンじゃん』って言われて」

「なんだ、それ」

「いや、俺だってそのくらいのことは知ってるって思ったんだけど」

 

 酔って長塚の顔を掴んで、ぼんやりと眺めたことを覚えている。なんであんなことになったのだろう。重い体を、浅野は起こそうとする。もう一度眠りに落ちてしまいたい。どうせ、振られたばかりだし自分を必要とする相手なんていない。

 あんなこと?……いや、俺はいつ、寝たのだろう。

 ここはどこだ?

 はっと浅野は目を開く。

 

「おはよう」

 

 爽やかな男が笑みを浮かべていた。

 

「いや、『おはよう』ってお前、ちょっと待てって、いやおい」

 

 なぜかお互い、裸だった。いや、なぜかも何もない。そこは長塚の部屋で、長塚のベッドで、お互い裸で、朝だった。

 頭ががんがん痛むのは、酒のせいだけではないのかもしれなかった。

 

「え、いや、嘘だろ……?」

「浅野、記憶消えるタイプだったか?」

「いやいやいや、待てって」

 

 長塚は平然とした顔をしている。確かに、彼と昨夜も飲んだ。でも、酒を飲み過ぎるのはいつものことだったし、普段ならタクシーに乗るくらいは泥酔してもできていた。

 

〝まぁ、確かに悪くない顔だよな〟

 

 この間、友人たちに言われたことが頭に残っていた。だから、長塚の顔をじろじろと見た覚えがある。幸か不幸か記憶は断片的に残っていた。何となく帰るのが嫌で、飲み直そうと言って長塚の家に押しかけた。

 そこまでは、以前にもあったことだ。長塚の部屋もよく知っている。だが、このベッドで寝たのは初めてだ。

 

「ど、こまでした……?」

「はは」

 

 長塚は大人びた笑みを浮かべるばかりで答えなかった。

 どこまでしたのか、そして、どのように。

 浅野はバイだ。だが、今まで男との経験はあまりない。長塚にあるとも思えない。

 一応、体は痛くない気がする。もし、本番行為に及んでいたならさすがに何の影響もないなんてことはないはずだ。思わせぶりなことを言っているだけで、たまたま裸で寝てしまっただけかもしれない。

 そもそも、長塚がバイだと聞いたこともない。高校時代、彼には彼女がいたこともあった。

 

「おい長塚」

「学校、行くんだろ」

 

 長塚は微笑むばかりで、それ以上何も言わなかった。おいしいコーヒーを淹れてくれて、パンを焼いてくれる。昔からの付き合いのはずの彼が、こんなに得体が知れなく見えたのは初めてだった。

 

 ・

 

「なんつーか……友達とそれ以外の境界線って何なんすかね」

「知らねぇよ」

「先輩として何かアドバイスとかないんですか?」

「お前、それ嫌みか?」

 

 最近無事に長らく片思いをしていた幼馴染みと付き合い始めた先輩の連は、だけど特に浮かれてもいなかった。うまくいっていないのか、それとも余裕があるのか。少し前だったら身を乗り出すところだが、なぜかそんな気分にもなれなかった。

 

「そんなん、相手次第だろ」

 

 ぼうっと見ていると、やっぱり好きな顔だなと思う。これだけの逸材はそうそうない。

 ふと、長塚とどちらが美形だろうかと考えてしまう。

 長塚はどちらかというと男前で、連はかわいらしい系なのでタイプは異なる。どちらもそこらにごろごろいるレベルではない。どちらも捨て難い。

 いや、俺は何を考えているのだろう。今まで誰かを見ても、長塚と比べたことなんてなかった。

 

「『男女の友情は成立するか』並みに意味がない話だな」

「あ、おれバイなんで、男女っていうか男同士もですよね」

 

 適切な相づちを打ったと思ったのに睨まれた。

 確かに、その問いは意味がない、と浅野も思う。自分が成立すると思っていても、相手は違うかもしれない。でもその場合、きっと相手も「成立する」と答える気がする。それはなかなかしんどいパターンだ。

 片方は友人だと思っている。でも、相手は違う。この世の中に、いくらでも繰り返されてきたであろうすれ違い。

 

「いやーやっぱ境界線はセックスするかじゃないすか?  やっちゃったら友達じゃいられないでしょ」

「知るか」

 

 長塚は多くを語らなかったから、事実はわからない。家に帰ってから風呂場で自分の体をよくよく観察してみたが、情事の痕跡らしきものは見つからなかった。

 たぶん、長塚は思わせぶりな反応をして、浅野が焦るのを見て笑っていたのだろう。そうに決まっている。

 

「なんか、俺どっきりされたぽいんすよ、この間」

「へぇ。お前にそんなことするなんて、暇人だな」

「いや待って下さいって、俺友達結構いますよ」

「最近ゲームもあんまりログインしてないからどうしてんのかと思ったら……」

「えっ心配してくれたんすか?」

 

 そういえば、連こそ自分にとって、恋愛対象と友情の対象の狭間にいる相手もいない。正直顔はめちゃくちゃ好きなので、今も眺めていたいと思う。でも、自分に可能性がないことももう嫌というほどわかっているので、迫るつもりもない。

 友人が恋愛対象になることもあれば、その逆もある。

 

「お前だって一応戦力だ」

 

 オンラインゲームの中での話だ。とはいえ、頼られるのは悪くない。

 

「あーじゃあ久しぶりにやりますね」

「暇ならでいいからな」

 

 たまにはゲームをして気晴らしをするのもいいかもしれない。連とゲームの話をするのは楽しい。彼が自分のものにはならないとわかっても、それは変わらないことだった。

 

 ・

 

 浅野の性分として、やられっぱなしでいるのは気に入らない。長塚はどんなつもりであのいたずらをしたのか。彼の考えていることはよくわからない。

 とにかく、やり返してやろうと思った。

 

「また振られたのか?」

「振られなくてもお前と飲んじゃいけないのか」

 

 そう言うと、長塚はちょっと意外そうな表情をした。確かに、浅野が彼を呼び出して飲むのは振られたときばかりだった。今は、連に振られたばかりで他に目移りできる相手もいない。長塚相手に、これといって愚痴る話題がないのは新鮮だった。

 

「いけなくない」

「じゃあいいだろ別に。来たってことは長塚も忙しいわけでもなかったんだろ?」

 

 ふーん、と長塚は納得したのだか不満なのだかよくわからない声を出す。

 

「浅野の家来たの久しぶりだ」

 

 飲もうと長塚を誘った。自分の家に。浅野は実家から大学に通っている。だが家族は不在がちで、今日も自分以外誰もいないことを確認している。

 

「悪いけど、ちょっと飲んでてくれ、こいつ片付けるから」

 

 計算外だったのは、長塚が来た時間にちょうどゲームの救援連絡が来たことだ。この間、連とは話したばかりだし、無視するのも気が引けた。仕方がないので、酒をテーブルの上に置いたまま浅野はコントローラーを握っていた。

 

「浅野は好きだよな、ゲーム」

「まぁな。やれば上手くなるし」

 

 高校の頃は長塚だって一緒にやっていた。やらなくなったのはいつからだろう。受験がきっかけだっただろうか。

 少しだけ考えた。長塚が、自分のことを好きな可能性はあるだろうかと。まぁまずありえないが、礼儀として一応考えた。

 

「暇なら悪いけど、好きなもん飲んでてくれ」

「そうするよ」

 

 附属高校の出身なので、長塚は黙っていても大学に進学できた。だけど、彼はわざわざ外部の大学を受験した。正直いって、偏差値も大して変わらないのにどうしてそんなことをするのか不思議だった。

 もし、長塚が自分のことを好きなら、同じ大学に進学することを選ぶんじゃないだろうか。大学が同じだったら、長塚とももっと会っていたと思う。

 長塚には、振られるたびに愚痴を言ってきた。中には、振られたと思ったが一時期関係が復活し、ずるずると続いた相手もいる。そいつとの修羅場を長塚に見られたこともある。でも、長塚はいつも何も言わなかった。

 顔がいいからと、どんなろくでもないような相手を浅野が好きになっても、絶対に反対しなかった。

 もし、好意があるのなら少しは嫉妬をしたり、反対意見を言ったりするのではないだろうか。

 だから、あの裸での同衾が、好意の結果だったということはない。浅野はそう結論づけた。

 

「浅野も飲んだらいい」

 

 そう言って、長塚はプルを開けた缶ビールをテーブルの上に置いてくれる。浅野は強敵と戦い始めたばかりでそれどころではなかった。

 

「サンキュ」

 

 浅野は、長塚が泥酔したところを見たことがない。

 酔ったと本人はよく言うのだが、何も普段と変わらないように思える。彼が乱れるところは見たことがない。

 だが、限界はあるはずだ。この間のことをやり返すためには、長塚を酔わせる必要があった。

 だから今日、浅野は焼酎やらウォッカやら、度の強い酒を買い込んだ。

 

「ふーん、上手だな」

 

 長塚は後ろから手元をのぞき込んでくる。気が散るし、顔が近くて何だか落ち着かない。

 浅野の初恋は中学生のとき、相手は映画スターだった。驚くほど顔の整ったアメリカの女優だった。

 もちろん、彼女ほどの美形は身近にはいなかった。でも、身近にいるきれいな相手は男女問わず好きになった。

 

「俺がさ、クラスのやつらから叩かれたことあったろ、高校の時」

 

 高校の時、惚れ込んだのは美人で、控えめな性格の同級生だった。確かにじろじろ眺めたりはした。でも決して触ったりはしていない。見ていただけだった。だから、自分が悪いなんて夢にも思わなかった。

 そのうちに、彼女は学校を休みがちになり、完全に不登校になった。

 視線恐怖症になったのだと聞かされた。浅野のせいだ、とみんなが非難した。

 

「あの時なんでかばった?」

「別に普通のことだろ」

 

 いつも通りの声で長塚は言う。

 浅野は、彼が声を荒らげたり、動揺したりするところを見たことがない。彼女がいたことはあったが、恋人相手にだったらもっと間の抜けたところも晒すのだろうか。

 

「でも当時、仲良くもなかったよな」

「そうだったか?」

 

 思った以上に、敵を倒すのには時間がかかった。計算外だったが、ちょうどよかった。長塚と同じペースで飲んでいたら、潰れるのは浅野の方だからだ。

 

「あー終わった!」

「おつかれ」

 

 やっと敵を倒して、テレビをどうでもいい番組に変えて、そのまま長塚と飲み続けた。浅野は特に高校の頃の話題を振ったのだが、長塚はいつものように穏やかに話し続けるばかりだった。

 気がつくと、浅野は自分も飲み過ぎて、そのままテーブルに突っ伏していた。

 はっと目が覚める。もう深夜のようだった。

 

「……おい、長塚。寝てんのか?」

 

 長塚はソファにもたれていた。口をわずかに開いて、目を閉じている。そんな顔でもそれほど間抜けに見えないのだから、美形は得だ。

 

 ――俺は、どうしてこいつのことは好きにならなかったんだろう。

 

 ふと疑問になる。確かに……友人たちの言うことは一理ある。長塚の顔立ちは整っている。自分は美形が何より好きだったはずだ。

 浅野は思わずじっと、彼の顔を観察していた。

 なぜ、好きにならなかったのだろう。あらゆる条件は確かに彼を好きになるのが自然だと示している。でも、いつからか彼は「友人」になった。

 

「いや……そんなことより」

 

 浅野は計画を実行しようとする。とはいっても、やることはシンプルだ。少しでいいから、この穏やかな男を慌てさせたい。浅野の望みはそれだけだった。

 すっかり寝入って脱力している彼の服を脱がせる。寝ている人間を脱がせるのは、思ったよりも労力が必要だった。体は重く、なかなか服を剥ぎ取れない。

 そしてそれから、彼をベッドに連れて行く。だがこれもまた一苦労だった。すっかり眠っている自分より大きな男を、起こさないように運ばなければならない。

 

「介護とかする人って大変だな……」

 

 体格の違いがうらめしい。長塚はこの間、今の浅野と同じように、浅野の服を脱がせてベッドに寝かせたはずだ。頭で考えるのは簡単だったけれど、思った以上の重労働だ。

 何とか長塚を運び、ベッドに横たえた。上着だけ何とか脱がすことはできたが、下はまだ履いたままだ。

 

「長塚?」

 

 小声で呼びかけてみたが反応はない。すっかり寝入っているようだ。何とかそれから、ズボンも脱がせた。下着に手をかけて、さすがに躊躇する。

 だが本気で騙すつもりなら、徹底的にやった方がいい。この間のときだって、お互いに完全に全裸だった。だからこそ浅野も混乱したのだ。

 パンツに手をかけると、心臓がどくどくいっているのがわかった。ただのイタズラで興奮してどうする。自分に言い聞かせて、下着を脱がせる。脱がせたあとの性器は直視しないようにして、自分の服を脱ぎ捨てた。そのまま長塚の隣りに横たわる。

 もともとの計画だと、それだけのつもりだった。

 でも、これでは長塚と同じことをやり返しただけだ。何か自分なりに、もっと付け加えられないだろうか。

 それっぽい写真を撮るのはどうだろう。

 裸で横たわって、明らかに二人がヤっている……そんな写真を撮れないか。そう思い、浅野は脱ぎ捨てたズボンのポケットから携帯を取り出そうとする。だが、急に後ろから抱きつかれて息が止まった。

 

「な……っ」

 

 寝ぼけているのかと思った。長塚の手は、裸の浅野の胸をなでさすっている。

 

「起きたのか!?」

 

 振り向いたところを、強引にキスされた。

 

「んん……っ」

 

 もともとベッドに一緒に入ったところだ。逃れようがなかった。そして浅野も長塚も全裸だった。抱きしめられた背が、長塚の腹に触れている。

 

「おい、寝ぼけてるのか……!」

 

 浅野は目をつむってキスをしていた。今は彼女はいないはずだが、誰かと間違えているのだろうか。浅野は長塚の腕を叩く。

 

「やめ」

「起きてるよ」

 

 長塚ははっきりと言って、目を開いた。

 

「え」

「そんなにしたかったなら、最初から言えばいいのに」

 

 そう言って、濡れた浅野の唇を舐める。長塚の手は、浅野の胸を執拗に撫で回していた。先端を摘ままれて、妙な気分になってくる。

 

「や、ちが……これは」

「この間のこと、忘れられなかった?」

「あ、れはお前のいたずらだろ!?」

 

 長塚は答えなかった。ただ、いつものように整った顔で微笑む。

 

「今度は、忘れられないようにしてやるよ」

 

 いくら飲み過ぎたとはいえ、完全に記憶が消えたわけじゃない。大したことはしていないはずだと思っていた。

 

「大丈夫、最後まではしなかったから。前回は」

 

 そう言って、長塚は浅野の性器に触れる。そこがもう、先走りで濡れていた。

 

「だから今日が最初だ」

「や……」

 

 振られてばかりなので、浅野はそれほど経験が多い方ではない。今までの数少ない男性との経験では、受ける側になったことはなかった。

 怖い、と思う。長塚の肌は熱く、のしかかってくる体重は重かった。

 

「や、め……」

「大丈夫、痛くないようにするから」

「長塚……っ」

 

 そう言った通り、長塚はじっくりと時間をかけて浅野を抱いた。何度も射精されられて、その間に慎重に奥をほぐされる。途中からは、いやだと言っているのかいいと言っているのか浅野自身にももうよくわからなかった。

 

「や……っ、あ」

 

 入れられたときには、焦らされつくした浅野はほとんど安堵のような息を吐いていた。苦しさはある。でも、同時に胸や性器も触られて刺激され、じわりと奥がうずく。

 

「こ、んな……」

 

 長塚は慎重だった。最初から彼の性器もすっかり高ぶっていたというのに、焦ることなく、浅野の奥が十分に彼を受け入れられるようになるまで待ってから、ゆっくりと挿入した。

 

「ああ……っ」

 

 挿入してからも、強引に動いたりはしない。浅野の中が、彼の形になじむのを待つかのように、じっととどまっている。

 何度もキスをされた。深く串差されたままキスをされると、じわりと熱がうごめく。

 

「大丈夫か?」

 

 冗談でしたことのはずだったのに、本当に抱かれている。目を閉じても開いても、やっぱり信じられない思いだった。

 

「苦しい?」

「でか……くて」

 

 目一杯に広げられているのがわかる。これ以上にないくらいに。口にすると、長塚のものがわずかに反応したのがわかった。

 

「ちょっとだけ、動いてもいいか?」

「や……だ、め」

 

 だめだと言ったのに、ゆるく長塚は腰を動かす。同時に胸の先を摘ままれて、思わず彼の物を締め付けてしまう。それが気持ちよかったのか、初めて長塚が甘いため息のような声をこぼす。

 ゆるく律動されると、自分の内部が彼のものに擦られているのがよくわかる。

 

「や……っ、あっ、あ」

 

 気がつくと、浅野は長塚の背に必死にしがみついていた。今まで、ろくに片思いを成就させたことがない。セックスの相手は、その場限りの男だったり、女だったりがほとんどだった。浅野自身、ここまで相手に気を遣って抱いた覚えがない。

 奥から溶かされる。どろどろになって、皮膚の境界がわからなくなる。

 

「お、く……」

「ああ、気持ちいいな」

 

 そう言って長塚はまたキスをする。ぶわりと恥ずかしいような何だかわからないような気持ちが湧いてきて、浅野は思わず彼から目をそらした。

 あまりのことに忘れかけていたけれど、今自分を抱いているのは、高校時代からの友人なのだ。

 顔立ちが整っていることくらい知っている。誰からもイケメンだと言われる相手であることも。でも、最初から彼を恋愛対象に考えたことはなかった。どうしてだろう。考え始めるとわからなくなる。だってこんなにかっこよくて美形なのに……。

 

「ああ……っ」

 

 激しく責め立てられたわけではない。だけどそのままじわじわと弱火であぶるように抱かれ続けて、長塚を咥えこんだまま浅野は達した。今までに知らなかった種類の快感だった。

 

「……っ」

 

 少し遅れて長塚が精を吐き出す。指先まで真っ白になってしまった気がした。もうほんの少しも、体を動かしたくなかった。

 

 ・

 

 頭が痛い。がんがんと痛む。

 二日酔いだ。大学に進学してから、もう何度この痛みに苦しめられてきただろう。何か大事なことを忘れているような気がする。体が重い。特に信じられないくらい奥の方が、じわりとまだ熱を持っているかのようで……。

 

「おはよう」

 

 はっと浅野が目を覚ますと、爽やかな男が笑みを浮かべていた。

 

「……いや、嘘だろ?」

 

 だが、嘘でないことは自分自身覚えていた。あのまま寝入ってしまったらしく、浅野も長塚も裸のままだった。ベッドの脇には浅野が脱いだり脱がせたりした服が散らばっている。

 

「いやいや、待てって……」

 

 長塚の顔を正視できなかった。昨日の夜、自分たちは一体何をしてしまったのか。

 友人だと思っていた。他愛ないいたずらのつもりだった。確かに嫌悪感があったらそんないたずらさえしようとはしないだろう。でも、誓って彼は恋愛対象ではなかったはずだ。

 

「お前、俺のこと好きなのか?」

 

 浅野はやっとのことで口にしたが、長塚は微笑むだけだった。

 さすがに考えすぎか、と浅野が思ったとき、長塚が言った。

 

「俺はさ、待ってたんだ、お前が気づくのを」

「何を」

「お前が一番好きなのは、俺の顔だ。最初から、そうなんだよ」

 

 当たり前のことを言うような口調で、長塚は笑いながら言った。

 確かに長塚は美形だ。それは知っている。

 

「いやいや」

 

 一瞬、飲み込まれそうになって、だけど浅野ははっとする。

 

「いや待てってお前おかしいだろ」

 

 浅野が長塚と会ったのは高校だ。その頃にはもう、浅野はとっくに美形が好きだった。そりゃあ、長塚に初めて会ったときには顔がいいなとは思っただろうが、最初から好きだなんてありえない。

 

「なんだよそれ、違うって」

「そうなんだ」

「お前は俺のこと好きなのかそうじゃないのか、どっちなんだよ」

「好きじゃないならこんなことしない」

 

 当たり前のように長塚はあっさりと言う。嬉しいとかいう以前に混乱して、頭がついていかない。もし本当にそうなら、自分を好きな彼に対して散々無神経なことを言ってきた気がする。そもそも、長塚と飲むのは振られたときばかりだった。

 

「なんだよそれ、俺が振られたのとかいい気味だと思って聞いてたのかよ」

「いや」

「俺、普通に好きなやつの話とかしてたろ!? 嫉妬とかするだろ普通、好きなら」

「いや」

 

 長塚が嘘を言っているようには思えなかった。「応援している」と言いながら、影でほくそ笑んでいたとはさすがに思いたくない。

 

「いつかお前が気づくのはわかってたから」

 

 長塚は当然のようにゆったりと言った。 

 

「いつかってなんだよそれ」

「十年後か二十年後か、そのくらいには」

「は?」

 

 せいぜい三年とか五年とか、そういう答えを予期していた浅野は面食らう。

 だが、真顔の長塚は冗談を言っているわけではないようだった。

 

「早すぎたくらいだ」

「いや……いやいや。待て。待ってくれ。冗談だよな?」

 

 〝俺はまだ〟

 何度恋愛に関する話題を振っても、長塚がそう繰り返していたことを思い出す。でも、まだ十代の男子なんて、やりたい盛りだ。好きなら一日でも早く自分のものにしたい、と思うのが普通じゃないだろうか。

 

「でも、よかった。お前がこんなにあっさり気づいてくれて。話が早いな。体の相性もいいし」

 

 そう言って長塚は浅野の手を掴んでくる。長塚のことを恋愛対象として考えたことはない。振られたときに愚痴を言う、大事な友人だ。長塚と付き合ってしまったら、もう愚痴を言う相手がいなくなる。そんなのは困る。

 

「お前もそう思うだろ?」

「いや、俺はお前を友達だと……」

 

 浅野はとっさにこの間、連と話したことを思い返していた。

 

〝やっぱ境界線はセックスするかじゃないすか?  やっちゃったら友達じゃいられないでしょ〟

 

 確かにそう口にした。でも自分が直面するようなことになるなんて思わなかった。

 難問だ。どう考えても自分には解けなさそうなその問いを前に、浅野はもう何も言えなかった。